2013.05.03端午の節句

こんにちは、ステラです
もうすぐ、端午の節句こと、こどもの日ですね。



ハム菜「"たんご"って何?」
ステラ「黒猫のタンゴタンゴタンゴ...のタンゴじゃないか?」
ハム菜「違うと思う。しかも古っ!」


"端午"ってなんだ?
十二支と月日の対応はこうなっています。
子は1月かと思いきや、11月なんですね。
 十二支:寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥  子  丑
 月・日:1 2 3 4 5 6 7 8 910 11 12

端...端っこ=初めの
午...午の日=5日

端午は「月初めの5日」、だから毎月5日が端午だけど、
特に"午"の月である5月の端午を端午の節句と呼ぶようになったそうです。


由来はやっぱり 中国
中国の厄払い行事が伝来したものだそうです。
日本では、1948年に「こどもの日」として祝日に制定されたので、子供のた
めの行事というイメージですが、元々は子供と関係した行事ではありません
でした。
祝日法によると、こどもの日は、

 こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する

日だそうです。今の世の中だと、
 「女の子の節句の雛祭りは、なんで祝日じゃないんだ!」とか
 「父には感謝しないのか!」
とか言われそうですね。


なぜ"鯉"のぼり?
"登竜門"という故事があります。
その門(厳しい難関)を通れば、将来の栄光が約束される...
といった場面で使われる言葉ですね。

「竜門(龍門)」は黄河の上流にある地名で、鯉がその急流を登りきることが
できたら、竜になるという伝説にちなんで名付けられたそうです。

というワケで、こどもの立身出世を願って"鯉"のぼりなのかぁ...

となるところですが、この故事の出典である『後漢書 李膺伝(りようでん)』
およびその注釈にある『三秦記』の原著には"鯉"ではなく"魚"としか書いて
ありません。
日本で"鯉"に変えてしまったんでしょうか。
オリジナルの中国には"鯉"のぼりは無いですしね。

"魚"が"鯉"に変わってしまった経緯は結局わかりませんでしたが、
鯉のぼりは江戸時代に普及したそうです。
もともと武家で男児の出生を祝うために幟(のぼり)を立てていたのを町人
向けにアレンジしたのが、鯉幟の始まりだそうです


ママママから貰った鯉のぼり
一番下にグーフィーもいるんだけどうまく写っていませんでした



google mapで「竜門」を探してみました↓
東側に見える川が黄河です。

大きな地図で見る(別ウィンドウでGoogleMapが開きます)


【『三秦記』より】
河津一名龍門 水險不通 魚鼈之屬莫能上
江海大魚薄集龍門下數千 不得上 上則為龍也

河津(かしん)は一名を龍門とも言い、凄まじい急流で、魚やすっぽんの類
でそこを登る事ができるものはない。川や海の大魚が数千匹もこの龍門の下
に群がって来るが、登りきれるものはなく、もし登りきれたならば、その魚
は変じて龍となるのだ。


【参考・引用】
http://www23.tok2.com/home/rainy/seigo-toryumon.htm


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